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武岡 隆ブログ


WORDS / MEMORY / EVERYDAY LIFE

武岡 隆ブログ

本、活字、日本語、物語、記憶、時間。日々の中でふと立ち止まったことを、武岡 隆自身の言葉で静かに綴ります。

物語の外にあるページ番号を読む

ページの隅に置かれた数字は、本文と同じ紙面に印刷されている。それなのに、小説の一文として読まれることはない。登場人物が何をしていようと、「117」という数字はその出来事に加わらない。

目には入っているのに、物語からは外されている。ページ番号を取り除いても、本文は読める。文章の順序が保たれていれば、物語も先へ進む。

そう考えると、これは本の内容にとって不可欠な文字ではない。その一方で、一冊を読むという行為から外してみると、思った以上に多くのことが不便になる。

まず、ページ番号は読者が一冊のどこにいるかを知らせる。数字が百を越えたからといって、物語の時間が百だけ進んだわけではない。長い一日が何十ページにもわたることもあれば、数年が数行で過ぎることもある。

ページ番号が測っているのは、作中の時間ではなく、本という物の中を読者が進んだ距離である。その距離は、残りの厚みを指で確かめる感覚とも少し違う。

紙の束なら、おおよその前後は触れて分かる。数字はそこへ、もう少し細かな区切りを与える。「半分より少し先」ではなく、「何ページまで読んだ」と言えるようになる。

読書を中断するとき、しおりがその場所を物理的に残すのに対し、ページ番号は場所を数字として持ち出せる。読み返すときにも、この数字は本文の意味とは別の働きをする。

印象に残った場面を「主人公があのことを知るところ」と覚えていても、似た場面が複数あれば探すのに時間がかかる。「117ページ」と分かっていれば、内容をたどり直さずに開ける。

ページ番号は場面を説明しない代わりに、説明を省いてそこへ戻す。私は、この役割に対してページ番号がずいぶん控えめに作られていることが気になる。

多くの場合、本文より外側の余白に置かれ、各ページでほぼ同じ位置を繰り返す。読んでいる最中に強く意識させる配置ではない。毎回読ませる数字ではなく、必要になったときだけ見つかればよい数字だからだろう。

存在を主張しないことが、本文を邪魔せず働くための条件になっている。一人で戻るだけなら、付箋や折り目でも場所は残せる。ページ番号の役目が広がるのは、その箇所を誰かと共有するときである。

「あの場面」では、相手が同じ場面を思い浮かべるとは限らない。「117ページの三行目」と伝えれば、二人の注意を同じ狭い範囲へ合わせられる。数字そのものは感想を持たないが、異なる読み手が本文を照合するための基準にはなる。

ただし、ページ番号は物語そのものに付いているわけではない。同じ作品であっても、版が変われば同じ箇所の番号がずれる。文字の大きさを変えられる電子書籍では、紙の本と同じ固定的な区切りを使えない場合もある。

数字だけを伝えても、相手の版が違えば届かない。ページ番号が属しているのは、物語ではなく、その版で文字が並べられた版面である。たとえば、ある版でページ末尾に置かれた一文が、別版では次のページの冒頭へ回る。

文章の内容も順序も同じなのに、数字との結びつきだけが変わる。ページ番号を手がかりに同じ箇所を開くには、作品名だけでなく版もそろっている必要がある。

その不自由さは、番号が物語を区切る印ではなく、一冊ごとに作られた紙面の座標であることをよく表している。

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