WORDS / MEMORY / EVERYDAY LIFE
武岡 隆ブログ
本、活字、日本語、物語、記憶、時間。日々の中でふと立ち止まったことを、武岡 隆自身の言葉で静かに綴ります。
見本誌の「あ-12」から、売り手の机へたどる
見本誌に記された「あ-12」という文字は、本の題名でも著者名でもない。本文を読むための情報でもない。それなのに文学フリマの会場では、その短い表記が一冊の本の行き先を決めている。
見本誌コーナーに並ぶ本は、出店者の机をいったん離れている。表紙や題名をまとめて見られる一方で、その本を頒布している人の姿や、机の上に並ぶほかの本は見えない。
会場を歩いているときなら一緒に受け取れる情報が、ここでは切り分けられている。見本誌の前で起きるのは、読むことと受け取る場所の分離である。手元にある見本誌そのものを購入するわけではなく、そこには売り手もいない。
関心が残った本は、ラベルを手がかりに頒布の机までたどることになる。目の前の一冊だけでは、その移動の向きは決まらない。書名、著者名、発行元、価格は、本そのものを見分けたり、頒布の条件を知ったりするための情報である。
題名を覚えても、著者名や出店名を控えても、それだけでは会場のどこへ向かえばよいかはわからない。ブース番号は内容を説明しない代わりに、いま、その本が置かれている位置を示す。
本についての情報と、本へ行くための情報は、似ているようで役目が異なる。私は、この番号が住所に似ていると思う。ただし、長く使われる住所ではない。
会場の配置が決まり、出店者が机に本を並べているあいだだけ通用する住所である。開催が終われば「あ-12」という表記と一冊の本との結びつきもほどける。
それでも当日の会場内では、題名や著者名には代われない役目を持っている。出店者の机で最初に本を見つけた場合、番号を強く意識しないこともある。本と売り手がすでに同じ場所にあり、ほかの本や机上の案内も一緒に見えるからだ。
見本誌コーナーで両者が離れたときにだけ、「あ-12」は管理上の記号を越えて、移動に使う情報として前に出てくる。机の配置から離して並べることには、別の効用もある。
隣り合う本を、出店名や机上の装飾より先に、表紙や題名から見比べられる。見本誌コーナーは本の周囲の情報を一度薄くし、机ごとのまとまりとは異なる順序で関心を生む場所になる。
その仕組みは、売り手から切り離した本を、そのまま匿名の一冊にはしない。表紙を見比べる自由をつくりながら、ラベルには頒布場所との対応を残す。分離と接続が同時に用意されているため、本だけを見つけたあとにも、その背景にいる人へ視線を移せる。
もっとも、番号だけを見ても、右へ進むのか、どの列を探すのかまではわからない。入口や通路、列の区分とブース番号の並びを載せた会場案内に照らして、初めて「あ-12」は会場内の一点として読める。
案内が座標の規則を示し、ラベルがその座標を本に持たせる。どちらか一方では、住所としての働きは完成しない。見本誌の「あ-12」を控えた時点では、まだ一冊を見つけただけである。
その短い表示が案内の上で行き先を得て、該当する机へたどり着いたところで、本のそばに売り手の姿が戻る。
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