WORDS / MEMORY / EVERYDAY LIFE
武岡 隆ブログ
本、活字、日本語、物語、記憶、時間。日々の中でふと立ち止まったことを、武岡 隆自身の言葉で静かに綴ります。
増刷を考えるとき、在庫は「冊数」だけでは見ない
在庫表に「五十冊」と記されていれば、そこにあるのは明快な数である。百冊より少なく、十冊より多い。ところが増刷を考える場面では、この五十冊がどれほど残っているのか、数字だけではまだ分からない。
一日に一冊ずつ注文が入る本なら、五十冊には相応の余裕がある。一方、数日おきにまとまった注文が入る本なら、同じ五十冊でも見え方は変わる。在庫数が同じだからといって、品切れまでの距離まで同じとは限らない。
私が気になるのは、在庫という言葉が、止まっているもののように見えることである。棚に何冊あるかを数えた時点では正しい。だが本は、注文によってそこから減っていく。
増刷の判断に使うなら、在庫は置かれている冊数であると同時に、減りつつある冊数でもある。単純に考えれば、一定期間に何冊動いたかを見ればよい。ただ、その平均だけでも足りないことがある。
三十日で三十冊動いた本が、毎日一冊ずつ出たとは限らない。一度に二十冊の注文があり、残りの日に十冊出たのかもしれない。合計は同じでも、在庫が急に薄くなる可能性は異なる。
注文の入り方には、均等に減る本と、段差をつけて減る本がある。後者は、昨日まで十分に見えた残数が、一件の注文で急に心細くなる。減った実績だけでなく、どのくらいのまとまりで動くのかも、残数の意味を変えている。
もう一つ見る必要があるのが、補充までの日数である。増刷を決めても、その場で完成した本が在庫へ加わるわけではない。印刷や製本には工程があり、仕様や部数、作業の予定によって必要な時間も変わる。
納品までに二週間かかる場合と一か月かかる場合では、同じペースで売れる本でも、判断を始める地点は違ってくる。仮に一日二冊ほど減り、補充まで二十日かかるなら、その間に四十冊が必要になる計算である。
残り五十冊は多く見えても、計算上の余白は十冊しかない。反対に、補充までの日数が短く、注文も緩やかな本なら、五十冊を見てすぐに増刷へ動く必要はないかもしれない。
もちろん、早く刷ればすべて解決するわけでもない。増刷した本は新たな在庫になる。動き方を大きく見積もれば、今度は長く残る冊数を増やすことになる。
品切れを避けたい気持ちと、必要以上に在庫を抱えたくない事情は、どちらか一方だけを正しいとはできない。さらに、帳簿上の残数がそのまま自由に出荷できる冊数とは限らない。
すでに入っている注文へ充てる分があれば、まだ棚にあっても行き先は決まっている。見本など、通常の出荷に回さない分を区別する場合もある。数える対象を確かめなければ、「五十冊」の中身そのものが揃わない。
こうして見ると、増刷の判断は、残数に一定の線を引くだけでは扱いにくい。「五十冊を下回ったら刷る」と決めても、本ごとに減り方と補充日数が違えば、その線が早すぎることも遅すぎることもある。
必要なのは、残っている数を、それが何日分に当たるのかへ置き直す作業である。在庫表の一つの数字には、すでに受けた注文、これから減る速さ、刷り上がるまでの日数が重なっている。
増刷を考えるとき、私が見たいのは「あと何冊あるか」だけではない。その冊数で、補充の日まで届くかどうかである。
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