WORDS / MEMORY / EVERYDAY LIFE
武岡 隆ブログ
本、活字、日本語、物語、記憶、時間。日々の中でふと立ち止まったことを、武岡 隆自身の言葉で静かに綴ります。
引用の内側で、かぎ括弧は二重になる
彼は「彼女が『また明日』と言った」と話した。この一文には、外側の「」と内側の『』がある。日本語の一般的な表記では、かぎ括弧の中へさらに引用を入れると、内側を二重かぎ括弧にする。
ここで気になるのは、なぜ同じ「」をもう一組使わず、わざわざ形を変えるのかという点である。形を変えずに、彼は「彼女が「また明日」と言った」と話した、と書いてみる。
内容を推測することはできる。ただ、二つの「が続く箇所では、どちらが外側の始まりで、どちらが内側の始まりなのかを形だけでは見分けにくい。対応する閉じ括弧も同じ形なので、読み手は文の意味を頼りに境界を探すことになる。
内側を『』にすると、括弧の形そのものが位置を示す。外側の「」は彼が話した範囲を囲み、内側の『』は、その中で彼が取り上げた彼女の言葉を囲む。「」と『』の違いは、二つの言葉の内容を分類しているのではない。
外から数えて何層目にあるかを見えるようにしている。この例の地の文にいるのは、彼の発言を記す語り手である。そこから「を越えると彼の発言へ入り、さらに『を越えると彼女の言葉へ入る。
反対に、『を閉じれば彼の発言へ戻り、」を閉じれば地の文へ戻る。括弧は言葉を囲むだけでなく、読む位置の移動も区切っている。内側の『また明日』を囲まなければ、彼は「彼女がまた明日と言った」と話した、となる。
この形でも出来事の大筋は伝わる。一方で、「また明日」が彼女の言い方をそのまま取り上げた部分なのか、彼が内容をまとめたものなのかは、字面から区別しにくい。
『』は内側の範囲を示すと同時に、そこを一まとまりの言葉として浮かび上がらせる。もちろん、『』には書名などを示す用法もあるため、この記号だけを見て常に引用の二層目だと決めることはできない。
階層として働くのは、外側に「」があり、その内側で『』が使われている場合である。記号の意味は一つに固定されているのではなく、周囲との組み合わせによって定まる。
形が教えるのは、主に境界と深さである。誰の言葉なのかは、「彼は」「彼女が」といった文中の情報から読む必要がある。『』を使っただけで話者まで自動的に決まるわけではない。
それでも、外側と内側が別の形になっていれば、少なくとも二つの発言を同じ平面に取り違えずに済む。引用がさらに重なると、二種類の括弧だけで深さを示し続けることは難しくなる。
表記の決まりに応じて括弧を使い分けるほか、文を分けたり、誰の言葉かを地の文で示したりする方法が必要になる。二重かぎ括弧は無制限に階層を作る記号ではなく、まず外側と内側を区別するための形なのである。
境界は、開くときだけでなく閉じるときにも見える。彼は「合言葉は『また明日』」と言った。この文では内側の』が先に現れ、外側の」がその直後に続く。
「』」という二文字の並びは、内側の言葉を出てから外側の言葉を出る、その順番を字面に残している。
新しい記事をメールで受け取る
武岡 隆の新しい文章が公開されたとき、メールで静かにお知らせします。
登録料・購読料はかかりません。メールアドレスはブログ更新通知のためだけに使用します。いつでも解除できます。