WORDS / MEMORY / EVERYDAY LIFE
武岡 隆ブログ
本、活字、日本語、物語、記憶、時間。日々の中でふと立ち止まったことを、武岡 隆自身の言葉で静かに綴ります。
「十月も終わる」の一字が連れてくる時間
「十月が終わる」と「十月も終わる」。違うのは助詞一字だけである。どちらも同じ月末を指し、暦の上で起きることも変わらない。
それなのに、後者には十月だけでは収まらない時間が含まれているように感じられる。私が気になるのは、「も」が十月より前に過ぎたものを、文の中へ呼び戻すところである。
「十月が終わる」の「が」は、まず十月を取り出し、その終わりを述べる。前後にどのような月があったとしても、この一文が直接示すのは十月の変化である。
そこに寂しさや早さを感じることはあっても、それは文脈や受け手の側に生まれるもので、「が」そのものが過ぎた月を数えているわけではない。一方、「も」には並ぶ相手が要る。
「九月が終わり、十月も終わる」と書けば、その相手は九月である。前の文がなくても、「十月も終わる」と言われると、何に加えて十月が終わるのかをこちらが補う。
暦についての一文なら、一月から九月までの月や、先月まで繰り返されてきた月末が候補になる。もちろん、「も」が一月から九月までを一つずつ数え上げているわけではない。
「夏が去り、十月も終わる」という文なら、十月と並ぶのは別の月ではなく、先に起きた季節の変化である。「も」が連れてくる相手は文脈によって変わる。
ただ、十月という名がすでに一年の順序を持っているため、単独で置かれたときには、それまでの月が最も入り込みやすい。そこから、「もう十月が終わる」に近い早さが生まれる。
「も」と「もう」は別の語であり、「十月も終わる」が必ず予想外の早さを表すわけではない。それでも、一つの月末ではなく、同じ区切りが十回目まで来たと受け取れば、過ぎた量は急に大きくなる。
十月だけを見ていた目が、一年の初めから現在までをまとめて見ることになるからだ。反対の感覚を添えることもできる。「長かった十月も、ようやく終わる」とすれば、早さより安堵が前に出る。
この場合の「も」は、十月をほかの経過に加えてはいるが、急いで過ぎたとは伝えていない。時間を早く感じさせるのは「も」だけの働きではなく、「ようやく」や「早いものだ」といった周囲の語、その文が置かれた場面との組み合わせである。
それでも、「十月も終わる」だけで早さを感じやすいのは、過去だけでなく残りまで見えてくるためだろう。十月を一年の十番目として受け取れば、その後ろには十一月と十二月しかない。
「も」は残り二か月を直接述べてはいないが、現在地を一連の区切りの中へ置くことで、終わった数と残った数を同時に意識させる。「今日で十月が終わる」は、日付の説明としてすっきりしている。
「今日で十月も終わる」とすると、話し手は今日の日付だけでなく、ここまで来たことにも目を向けているように見える。感慨を明言してはいない。早かったとも、長かったとも言っていない。
ただ、十月を単独の月として扱わず、何かに続くものとして置いている。試しに「も」を取り除いても、月末という事実は残る。消えるのは出来事そのものではなく、その出来事と過ぎた時間とのつながりである。
助詞一字が日数を増やすことはない。それでも「十月も終わる」と書かれたとき、十月は一か月分の幅だけを持つのではなく、そこまで積み重なった月の最後尾に立つ。
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