WORDS / MEMORY / EVERYDAY LIFE
武岡 隆ブログ
本、活字、日本語、物語、記憶、時間。日々の中でふと立ち止まったことを、武岡 隆自身の言葉で静かに綴ります。
索引から拾う、本文を横切る一本の言葉
索引では、一つの言葉の後ろに複数のページ番号が並ぶ。同じ章の中で二、三ページ続くこともあれば、前半と後半に一つずつ離れていることもある。私が気になるのは、その数字の並びが、目次とは別の形で本の全体を示していることだ。
目次が示すのは、著者が組み立てた大きな順序である。第一章から第二章へ進み、節ごとの見出しを経て、終わりへ向かう。読む側も、基本的にはその順序に従う。
前に書かれたことが後ろの記述を支え、説明や物語が積み重なっていく。一方、索引で一語を拾うと、その積み重なりはいったん脇へ置かれる。三十ページの次が百二十ページ、その次が二百ページという具合に、章と章のあいだを飛び越える。
同じ言葉が置かれた箇所だけを結ぶため、本文では遠く離れていた記述が、索引の一行では隣り合う。そこで見えるのは、単なる反復とは限らない。最初の箇所では説明のために使われていた言葉が、別の章では具体例の中に現れ、さらに後ろでは結論を支える語になっていることがある。
同じ表記でも、その都度担っている役割は違う。初めから順に読んでいると、話の流れに沿って受け取るため、その変化を一続きのものとして意識しにくい。
反対に、索引からたどる読み方では、途中の文脈が切れる。前後を読まなければ、その語が肯定されているのか、疑われているのかさえ分からない場合もある。
索引は本文を短くまとめたものではなく、ページへ戻るための入口である。番号だけを順に追っても、著者の考えをそのまま取り出せるわけではない。それでも、この切れ方には独特の働きがある。
章ごとの議論をいったん離れ、一つの話題が本のどこに置かれているかを見渡せるからだ。ある章に集中していれば、その本ではそこで詳しく扱われている。
離れた箇所へ何度も現れるなら、表立った主題ではなくても、複数の議論に関わっている可能性がある。見出しにはならなかった語が、索引では何度も顔を出すこともある。
ここで、索引に載っていない言葉が重要でないとは言えない。索引には、どの語を項目にするかという選択がある。同じ内容でも別の項目へまとめられたり、本文には登場していても採られなかったりする。
索引から見える道筋は、本に含まれる話題のすべてではない。選ばれた入口から見える範囲である。この限界があるからこそ、索引は目次の代わりにはならないし、目次も索引の役を果たさない。
目次は本がどの順序で話すかを示し、索引は特定の語がその順序のどこに現れるかを示す。前者では章のまとまりが先に立ち、後者では一語が章の境を越える。
また、本文のつながりは、同じ表記の反復だけでできているわけではない。索引で選んだ一語を足場にして前後を読むと、別の語へ言い換えられた箇所や、具体例だけが残る箇所にも気づく。
索引の線は項目名の範囲でいったん途切れるが、本文側では話題が形を変えて続いている。そのずれは、項目と主題を同一視しないための手掛かりになる。
索引から各ページへ戻ったら、該当語だけを拾わず、その前後を数段落読む。ある箇所では意味を定める定義語として置かれ、別の箇所では先の説明を揺さぶる反例の中に置かれているかもしれない。
そこで確かめたいのは、語の意味が同じかどうかだけではない。主語は何か、どの動詞に結びつくか、断定の前にどんな条件が添えられているかを見ると、その語に託された仕事の違いが現れる。
表記は変わらないまま、周囲の文がその語の重さや向きを少しずつ変えていることが見えてくる。
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