WORDS / MEMORY / EVERYDAY LIFE
武岡 隆ブログ
本、活字、日本語、物語、記憶、時間。日々の中でふと立ち止まったことを、武岡 隆自身の言葉で静かに綴ります。
文学フリマで、本は一日だけの住所を持つ
文学フリマのブース番号は、短い。数字だけの場合もあれば、文字と数字が組み合わされる場合もある。会場内で迷わないための案内記号だと考えれば、それで説明はつく。
そのうえで私が気になるのは、その番号が付くことで、本が一時的に「行けるもの」へ変わることだ。告知で一冊の本を知っても、タイトルや表紙だけでは会場のどこにあるのか分からない。
作り手の名前を覚えていても、多くのブースが並ぶ場所では、それだけでたどり着けるとは限らない。そこでブース番号が必要になる。カタログや会場図と照らし合わせれば、離れたところで知った本に、歩いて近づけるようになる。
告知に記された番号は、そのままではまだ文字列にすぎない。会場図を開き、入口や通路、列の並びと照合したとき、番号は初めて歩く経路へ読み替えられる。
入口からどの通路へ入り、どこで曲がり、列のどちら側を探すか。視線で追っていた記号が、会場では足の動きになる。そして目当てのブース前へ着けば、もう番号を見続ける必要はない。
本と作り手を指し示す仕事を終え、短い文字列へ戻る。この使われ方まで含めると、ブース番号は場所を記録する住所というより、告知の中の一冊と、その日に会場を歩く人との間だけに開く住所なのだと思う。
番号が示しているのは、本そのものの置き場所というより、出店する人や団体に割り当てられた位置である。そこには複数の本が並ぶこともあるだろう。その場所に複数の本が並んでいても、ある一冊を目当てにする人にとっては、その番号が本の所在地になる。
「この本はどこにあるか」という問いに、棚の段でも書店名でもなく、ブース番号で答えられる時間が生まれる。住所と呼ぶには、ずいぶん頼りない。文学フリマの名称、開催日、会場図がそろって初めて意味を持つからだ。
番号だけを別の日に持ち出しても、同じ本へは届かない。長く使われる住所とは反対に、前提をいくつも添えなければ働かず、開催が終われば役目も終える。
その頼りなさは、欠点ではないように思う。ブース番号は本を保管する場所ではなく、本と作り手が人を待つ場所を示している。倉庫の位置や送り先なら、物がそこにあり続けることが大切になる。
文学フリマでは、限られた開催時間のうちに、その場所へ人が向かえることの方が重要である。番号は短い表記で扱われることが多く、会場図で位置を確かめたり、告知に載せたりするときにも扱いやすい。
会場を順に見て歩き、知らなかった本に出会う読み方もある。その場合、番号は現在地を確かめる目印に近い。一方、先に告知やカタログで本を知っている場合には、番号は目的地になる。
同じ表記が、偶然の出会いには位置を、予定していた出会いには行き先を与える。この違いは、番号そのものではなく、それを見る人がすでに一冊を知っているかどうかから生まれる。
本には通常、著者名や書名、発行元などが記される。それらは本が何であるかを示す情報であり、持ち帰ったあとも残る。ブース番号はそこへ加わる情報ではない。
奥付に定着するものでも、本の一部として保存されるものでもない。開催中だけ本の外側に付き、読み手をそこまで運び終えると役目を手放す。文学フリマの告知にブース番号が添えられているとき、そこには案内以上の働きがある。
一冊の本が、まだ見ぬ読み手に対して「この日に、ここにいる」と示せるからだ。開催が終わったあとも告知の番号は文字として残る。しかし、その番号を頼りに同じ場所へ向かうことは、もうできない。
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