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武岡 隆ブログ


WORDS / MEMORY / EVERYDAY LIFE

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本、活字、日本語、物語、記憶、時間。日々の中でふと立ち止まったことを、武岡 隆自身の言葉で静かに綴ります。

柿のへたは、花のころから四枚ある

柿のへたは、果実ができたあとに取り付けられた蓋のように見える。橙色の実に対して色が暗く、乾いて硬そうで、果肉とは別の部品に思えるからだろう。

実を枝につなぐための付属品、と考えても不自然ではない。ところが、あの四枚は花のころからある。正確には、花の外側にある萼の先が四つに分かれ、その部分が果実になったあとも残っている。

花びらが落ち、子房がふくらんで柿の実になるあいだも、萼は茎の側にとどまる。へたは完成した果実への追加ではなく、果実より先にそこにあったものなのである。

私が引っかかったのは、萼が残ることだけではない。花のときには「萼」と呼ばれていたものが、果実になると「へた」と呼ばれる点である。同じ部分なのに、こちらが花を見ているか、実を見ているかによって名前が替わる。

花を説明するときには、花びら、萼、雄しべ、雌しべという分け方をする。果実になると、皮、果肉、種、へたという分け方になる。そのため、花が終わって果実が始まるところで、部品まで一度入れ替わったように感じやすい。

実際には、すべてがなくなって次の一式が現れるわけではない。落ちるものがあり、形を変えるものがあり、そのまま残るものがある。柿のへたは、その連続をかなり分かりやすく見せている。

花の段階で見ると、萼は花びらの外側にあり、花の中心を囲むというより、開いた花びらを下から受ける位置にある。このとき視線を引くのは花びらなので、萼は輪郭の外にのぞく緑色の部分として見えやすい。

その後、花びらが落ち、萼の内側にある子房がふくらむと、同じ位置関係のまま見え方だけが反転する。枝から伸びた茎の先で実が大きくなるため、茎に近い萼は、丸い果実のいちばん上に載った形になる。

かつて花を下から支えていたものが、今度は実の上面を覆う四枚の蓋のように見えるのである。萼が花から果実へ移動したのではない。内側の部分が大きくなり、花びらが消えたことで、周囲との大小関係が変わったのだ。

橙色の面に暗いへたが接している秋の姿だけを見ると、別の部品が後から付いたように感じる。花のころの写真や図と並べるなら、茎、萼、その内側という順序は同じで、果実だけがその内側から前へせり出している。

見える順番が変わることで、同じ萼に「支えるもの」と「蓋らしいもの」という二つの印象が生まれる。果実は大きくふくらみ、緑色から橙色へ変わる。一方、萼も果実の成長に伴って大きくなり、やがて厚く硬いへたとして見えるようになる。

姿や手触りが変わるので、花の一部だったとは気づきにくい。それでも、茎を囲む四つの並びは保たれている。ここで四枚という数が効いてくる。

ただ何かが残ったというだけなら、花の痕跡は輪郭の曖昧な跡に見えるかもしれない。柿の場合は、四つに分かれた形がはっきりしている。秋の果実にある四枚と、花の付け根にあった四つの萼の先とを、形の上で結び直すことができる。

もちろん、へたを見て花びらの形まで分かるわけではない。花全体が保存されているのでもない。残っているのは花の一部分であり、それも果実とともに育ったあとの姿である。

花の名残という言い方は間違いではないが、押し花のように昔の形がそのまま残ったものとは違う。萼は残りながら変わっている。

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